兵庫県の市民向けシンポジウムに参加して
ブログ「ストレスマネジメントとトラウマ」の本日の記事「臨床心理職の国家資格実現をめざす市民向け企画-一日相談会とシンポジウムを終わって」に、さっそく詳細が報告されていますが、昨日神戸で開催されたシンポジウムに、私も参加して来ました。
第1部では、当事者の方々の貴重な発表がありました。心理療法やカウンセリングを受ける当事者の方々は、そこに命をかけて臨んでおられるのであり、それを受け止めて共同作業をしていく臨床心理職は、その命の重さを守ることのできる存在でなければならないということを、改めて強く心に刻むことができました。
臨床心理職の国家資格化に関して、さまざまな議論はありますが、最も大切なことは、クライアントの方々の命を守るために、臨床心理職の責任を明確にすることであるということを、再確認した思いです。
たとえ国として資格や制度の位置づけが不安定であっても、個々人や個々の団体・機関の努力でクライアントの方々を守っていかなければならないことは言うまでもありません。しかし、広くこの仕事が普及しつつある現在、個々人や個々の団体・機関のできることには、やはり限界があると思います。クライアントを守るためには、この職業そのものを、制度的にある程度安定したものとして、社会の中に位置づけることが必要だと思います。そのための法整備が、強く望まれます。
3名の当事者の方々の話からわかるように、臨床心理業務を必要としている領域は、決して医療保健だけではないこと、人々が命をかけて作業をしている分野が医療保健だけではないことも、改めて確認しておきたいと思います。
第2部では、とても整理された質の高い話題提供を聞くことができました。
最後の討論の中から大事だと思ったことは、クライアントの方々の費用負担という現実的な側面です。費用負担が軽減される必要のあるクライアントの方々に、安心して医療保険または公費(税金)でサービスを受けていただくために、やはり国家資格化は欠かすことのできないものだと考えます。
会場も緑に囲まれて美しく、今日は本当に来て良かったと思えるシンポジウムでした。打ち上げも含めて、兵庫県のみなさんの暖かい雰囲気を肌で感じることができました。
小さな波が、やがて大きな流れにつながっていくように、これからもいろいろな方々と出会って行きたいと思います。

つなでさん!
>心理療法やカウンセリングを受ける当事者の方々は、そこに命をかけて臨んでおられるのであり、それを受け止めて共同作業をしていく臨床心理職は、その命の重さを守ることのできる存在でなければならないということを、改めて強く心に刻むことができました。
「命の重さを守ることのできる存在」そしてそのサービスを受けることへの敷居の低さ、経済性も含めて。
わが国が公的に提供している心理支援サービスは、スクールカウンセラーによるスクールカウンセリングと、警察被害者対策室のカウンセラーによる回数限定つきのカウンセリング、ほかにもあるでしょうが。
省庁横断の心理職の国家資格が、「臨床心理士法および医療心理師法」の「臨床心理士法」によって実現可能性がきわめて高くなったわけですから、医療で「二つの資格は混乱する」という批判があるのなら、「臨床心理師」ないし「心理師」という名称で、ひとつの資格で、上程することが、一番望ましいという思いを新たにしたシンポジウムでした。
その上で、学会認定のレベルでの心理師(犯罪被害)、心理師(発達)、心理師(医療)などの専門性を市民に明示することを義務づけていけば、市民は、心理師がどのような専門性をさらに有しているのかがわかり、ニーズにあった心理サービスを受けることができるのではないでしょうか。
投稿: Tominaga,y | 2007年5月22日 (火) 00時01分
> Tominaga先生
コメントありがとうございます。
シンポジストの方もおっしゃっていた「資格はシンプルに」ということからすれば、同じ基礎を持つ専門職が、医療機関であれ教育機関であれ、同じ名称で呼ばれること、それがたとえば「心理士」のようなわかりやすいものであることは、大切なことですね。
また、国家資格と認定資格との関係をどうしていくかということも大切だと思います。
今ある法案へのさまざまな動きも含めて、議論の輪を広げるために、今回のシンポジウムのような建設的な場を、さらに作っていけるといいですね。
これからもよろしくお願い申し上げます。
投稿: つなで | 2007年5月22日 (火) 23時25分
つなでさま Tominaga,Yさま
20日のシンポはお疲れ様でした。私たち3人にとっては「オフ会」的な意味もありましたが(#^.^#)
自分のブログをコメント・トラバお断りにしておいて,人様のブログに書き込むのはまるであらしにきてるかのようですので控えようと思いつつも時折こうして書き込んでしまうことお許しください。それから,私のブログ「はらちゃんのブログ」としてますが,人様のブログに書き込む際はハンドルネームはharaとしてます。重ねてご了承ください。
さて,Tominaga,Yさま同様に私も,「ひとつの資格がいい」ということをあらためて強く意識した会でした。震災や被害者支援,学校臨床の話が出てきましたが,これらは医療の外での臨床心理士の活躍であり,また特に第2部岡嵜先生の発表から医療領域でのご経験が学校臨床領域で活かされている(医療の必要な方を適切に医療につなぐことができる)というお話を聞いて,領域を分けない横断的な資格の必要性を痛感しました。
もしも,「医療心理師=医療,臨床心理士=医療以外」と完全に住みわけがされてしまっては,例えば臨床心理士は医療機関での実習ができなくなるでしょう。そうすると,医療を全く知らない臨床心理士が生まれることになります。そして学校臨床に入っても岡嵜先生のような活躍はできず,利用者に不利益が生じます。
結局そんな住みわけができずに,医療心理師が他の領域にも出てくるとしたら,医療領域のみならず全領域で2つの資格が混在して利用者にも一緒に働く他職種の方にも混乱が生じることになります。
医療関係諸団体の主張は,いろいろあって玉石混交です。中には2資格1法案をとにかくつぶすため!ということで難癖というかケチをつけてるだけというか議論に値しない言葉だけ過激な意見も多く見受けられます。しかし,それだけではなくて,利用者にとってどういう資格がいいのか?臨床心理士のやっていることって何なのか?何ができるのか?医者がやっていることとどこが違うのか?社会の中でどういう役割を担っていきたいのか?というような本質な議論を求める貴重な問題提起も含まれています。現行の臨床心理士に対する適切な批判も含まれています。
2資格1法案にとりあえずストップをかけて,本質的な議論をしようよ,不透明な手続きはやめて正々堂々とちゃんと話をしようよ,と。そのための数々の声明だったように思います。
それなのに,全心協も臨床心理士会もいまだに2資格1法案に固執していたのでは話にならない。2資格1法案は議員が作ってくださったもので文句は言い辛いという声も聞きます。確かに,対立の中のひとつの妥協点として,あの法案は政治のプロだから作れたものであり,評価できる点も多い(医行為・補助看法にあえて触れなかった点,それでも2資格を医師の指示下とした点,臨床心理士を横断的資格・修士修了とした点,臨床心理士の学部教育にも言及した点,など)し,議員には心から感謝します。
でも,その後の医療関係諸団体の主張(の本質的な問題提起)をきちんと受けとめて次に進まなければなりません。2資格1法案は画期的ではあったけれども,それでは十分な解決には至らなかったのです。
2資格1法案を作ったときのような2つの議連での濃密な話し合いを再びすることはできないのでしょうか?とりあえず2つの議連を一緒にすることは?
私たち心理職当事者は,あたらしい動きを起こすことはできないのでしょうか?医療心理師でも臨床心理士でもないあたらしい1つの資格を目指す動きです。全心協でも臨床心理士会でもなく,でもそれらも含めていろいろな団体ときちんと話し合い一緒にやっていける新しい流れを作っていけないのでしょうか?そういう新しい動きにこそ同調してやっていきたいという医療関係者もいると聞いています。
そういう流れの中で,きちんとした議論をして,対立したものをそのまま1つの法案に封じ込めるような法案ではなくて,対立を超えて新しい1つの資格の法案をつくることはできないでしょうか?
あらしついでにもう1つ。皆さん,声をあげませんか?5月20日に参加していた皆さん,一緒にビラを配った皆さん,あの場で何が起こっていたか,何を感じていたのか,報告をTominaga,Y先生任せにするのではなくて,皆さんご自身の言葉でこのブログやTominaga,Yやあるいはご自身でブログを立ち上げるなりされて,発信してみませんか?もちろん皆さんの仲間内では感想を話したりされているのでしょうが,私のところまではなかなか届かないので^_^;
投稿: hara | 2007年5月22日 (火) 23時29分
> haraさま
コメントありがとうございます。
haraさまの思いは十分理解できます。
熱い思いを持って、冷静に情報収集し判断しながら、どんどん行動していくということができれば、何かを変えていくことは可能かもしれません。
どうしていったらいいか、また一緒にいろいろ考えて行動して行きましょう。
投稿: つなで | 2007年5月23日 (水) 09時21分